家族の勇気こそが、プロジェクトをやり遂げた本当の力だったんじゃないか

photo 最近のエス(事務所)
ひきつづき、
「林檎の礼拝堂」のこと。
「家族」というもの・・・今日はそれを少し考えてみる。

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林檎の礼拝堂

photo 「田窪恭治/林檎の礼拝堂(集英社)」カバー
1ヶ月ぶりくらい、久しぶりの日記書き込みです。
ここのところ僕は、いくつかプロジェクトをずいぶん悩みながらも、やっとこさ進めている。
作業に思いのほか時間が掛かってしまい、実は各方面にご迷惑をかけてしまっている。

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水が張られたアクリル製の水槽が9個、スクエア配列で吊るされている

PHOTO 正方形の雲のようなもの@頭上/icc onlineより転載
初台のインターコミュニケーションセンター(icc)にて、坂本龍一と高谷史郎によるインスタレーションLIFE -fluid, invisible, inaudibleを体験する。

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いい本をもってきて下さって有り難うございます、だなんて初めて言われた言葉だよ

PHOTO 黄色いトレーシングペーパーにスケッチを重ねる
引き続き三鷹のプロジェクトに取り組む。
とはいっても、デスクに向っているだけではアイディアに行き詰まってしまう。
ちょっと散歩にでもでるか..と、吉祥寺の「百年」という忘れられない名前の古書店に本を売りに行くことにした。

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「自分の家は自分で作ろう」。すばらしい。

メゾン四畳半PHOTO/メゾン四畳半の展覧会カード
小雨の連休谷間。
慌ただしく都内を動き回る。
銀座通過中。
ふと自分のスケジュール帳の片隅にメモ書き発見。「メゾン四畳半・藤森照信展@メゾンエルメス」が開催中ですよ。
..さてと、なんの躊躇もなく、僕は現場監理業務中の薄汚れた格好のまま銀座エルメスに正面から突入します!

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暗い通路空間を通って、作品から作品を巡る。「余白」ならぬ「余黒(ヨグロ)」。

想定された状況とはいえ、まったくもってバタバタの年末である。
そんな多忙な師走、打合せと現場の移動の合間に六本木ヒルズ森美術館へ立ち寄る。

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「カタチ」ではなく「アピアランス」をデザインすること

昨夜の雨でひんやりと湿ったアスファルトの道を通って、今日も早朝から事務所へ。
朝の冷たい空気を吸い込みながら、「自然」なるものについてふと思う。

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この日のために、難しい曲をいっぱい書いちゃいました

20060408 L土曜日。

夕方、バタバタと仕事を切り上げ、久しぶりにライブを聴きに調布・仙川へ。

久米大作 special session featuring Akira Wada。

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記憶と実感によって想起される自然環境のイメージ

060215Hとても暖かい日。

まるで、もう「春」が来ちゃったみたいだ。

品川と汐留をハシゴして、時代の異なる2人の北欧の作家の展覧会へ。

ここ数日の事務的な作業に追われた頭をリフレッシュすべく、「脳」への栄養補給が目的。

まずは品川から。

オラファー・エリアソン@原美術館。

光を題材に、誰もがいつか体験したことがあるかもしれない「自然現象」を「人工的」にシミュレーションした作品。

自然の「一瞬の現象」のようなものが、作家の手によって、ぐーっと引きのばされて、ここ(=美術館)に存在させられている。

「体験したことがあるかもしれない」というところが、非常におもしろい。

とくに、「美」、「単色の部屋と風が吹くコーナー」と名付けられた2つの作品は秀逸。

その作品は一見、とても人為的なしつらえで鑑賞者を迎える。対して、鑑賞者はその機械仕掛け的な作品を見る(感じる)うちにだんだんと奇妙な気分に陥りだし、いつの間にか「どこかで見た自然現象」の記憶を強烈に想起しはじめる・・

上手く言えないけど、そんな感じだ。

最近千駄ヶ谷で工事がスタートしたばかりの集合住宅。そのことをふと思い出す。

僕はその中庭で、

「記憶と実感によって想起される自然環境のイメージ」

を提案しようとしている。

今、そのデザインのまとめ作業の最中だ。

どうしたらこの目の前の作品のような「不思議」な感じが創造できるんだろうか。

さっきから書いている

「体験したことがあるかもしれない情景」

がこの作品の重要なキーなのかな。

(決して「体験したことがある情景」ではない。)

とても参考になるな。面白いね。

「体験したかもしれない」って、たとえば「夢」あるいは「デジャヴ」だね。

「夢」「デジャヴ」ってのは無意識下でのシミュレーションだ。

そして「作品」ってのは「世界というもの」の人為的なシミュレーションだ。

・・ってことは、

これは「シミュレーションのシミュレーション」だ。

しかも、この美術館に満たされている環境状態は、「自然現象」を強烈に想起させる。

なるほど、なるほど。

・・それにしても、平日の昼間なのにこの展覧会は大盛況。けっこう人が多い。

美学生風の若いひとがたくさんデートに来ていて、「すげー」とか「ぅわー、きゃー」とかなり感動しまくっている。そんな様子もなかなかいいね。

僕はひとりで来ている「いいオトナ」であるが、じつは心の中では「すげー」とか「ぅわー、きゃー」な状態だ。

・・・

さて、場所を移して、汐留。

「汐留」。実際の今日の僕のアクセス地点名としては「新橋」。

両者の距離は歩いてもスグ。

まちの名前は重要だなあ。「汐留」VS「新橋」。どっちがいいとか悪いとかではなく、重要。

で、汐留での展覧会は、

スウェーデンのモダニズム建築家、

グンナール・アスプルンド。

「癒しのランドスケープ」という展覧会。

・・たしかに癒されました。

「森の墓地」という、世界遺産にも登録されたその広大な作品はとても素晴らしい。

「余白」がいいね。「空間の余白」。

土地の起伏をいかしながら、森の樹木の密度をコントロールして、さりげないデザインの建物やオブジェをそっと配置している。

その様々な事象の関係性の中に、とっても感じのいい「余白」がたくさん残され、または、つくられている。

いいねぇ。