大安。
身がグっとひきしまる寒い日。
午前中は千駄ヶ谷にて集合住宅着工の安全祈願祭。
暖房のない神社の本殿に、手を清め「素足」であがる。
一同、身を固くしながら、神官様の祝詞に頭(こうべ)をたれる。
水楢、欅などがふんだんに使われた社殿の造作(ぞうさく)。
見たことがないほどの「ホンモノ感」。
日常流通していないような大版のムク材料をピタっと納め、反りや割れなどは当然見せない。
凄まじい宮大工の技術である。
(そして、神社の「凄まじい財力」)
式次第後、思わず見とれる工事関係者一同。
社殿の中はふるえるほどの寒さだが、厚い床板に接した足底はそれほど冷たくはない。そして、むしろ心地よい。
足の裏というのはとても敏感な器官である。
熱さや冷たさを感じ取ることはもちろん、床の「厚さ」や「材質」を繊細に感じ取ることができるのである。
じつは、
目を閉じていても、足の裏の感覚によって「床のホンモノ感」は感知されてしまうということなのだ。
これは僕の持論であるが、
無意識のレベルにおいて、「空間の快適さ」は床の材質感に最も左右されるのである。