この日のために、難しい曲をいっぱい書いちゃいました

20060408 L土曜日。

夕方、バタバタと仕事を切り上げ、久しぶりにライブを聴きに調布・仙川へ。

久米大作 special session featuring Akira Wada。

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はるばる沖縄の離島から、突然の来客があるらしい

060322降り出しそうな空の下、新規プロジェクトの現場打合せ。 小さなプロジェクトだけれど、今回もワクワクする内容になりそうだ。

例によって、早足で帰り道を歩きながら、湧いてくるイメージを整理する。 「歩きながら考える」のが、最近の僕のスタイルだ。

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記憶と実感によって想起される自然環境のイメージ

060215Hとても暖かい日。

まるで、もう「春」が来ちゃったみたいだ。

品川と汐留をハシゴして、時代の異なる2人の北欧の作家の展覧会へ。

ここ数日の事務的な作業に追われた頭をリフレッシュすべく、「脳」への栄養補給が目的。

まずは品川から。

オラファー・エリアソン@原美術館。

光を題材に、誰もがいつか体験したことがあるかもしれない「自然現象」を「人工的」にシミュレーションした作品。

自然の「一瞬の現象」のようなものが、作家の手によって、ぐーっと引きのばされて、ここ(=美術館)に存在させられている。

「体験したことがあるかもしれない」というところが、非常におもしろい。

とくに、「美」、「単色の部屋と風が吹くコーナー」と名付けられた2つの作品は秀逸。

その作品は一見、とても人為的なしつらえで鑑賞者を迎える。対して、鑑賞者はその機械仕掛け的な作品を見る(感じる)うちにだんだんと奇妙な気分に陥りだし、いつの間にか「どこかで見た自然現象」の記憶を強烈に想起しはじめる・・

上手く言えないけど、そんな感じだ。

最近千駄ヶ谷で工事がスタートしたばかりの集合住宅。そのことをふと思い出す。

僕はその中庭で、

「記憶と実感によって想起される自然環境のイメージ」

を提案しようとしている。

今、そのデザインのまとめ作業の最中だ。

どうしたらこの目の前の作品のような「不思議」な感じが創造できるんだろうか。

さっきから書いている

「体験したことがあるかもしれない情景」

がこの作品の重要なキーなのかな。

(決して「体験したことがある情景」ではない。)

とても参考になるな。面白いね。

「体験したかもしれない」って、たとえば「夢」あるいは「デジャヴ」だね。

「夢」「デジャヴ」ってのは無意識下でのシミュレーションだ。

そして「作品」ってのは「世界というもの」の人為的なシミュレーションだ。

・・ってことは、

これは「シミュレーションのシミュレーション」だ。

しかも、この美術館に満たされている環境状態は、「自然現象」を強烈に想起させる。

なるほど、なるほど。

・・それにしても、平日の昼間なのにこの展覧会は大盛況。けっこう人が多い。

美学生風の若いひとがたくさんデートに来ていて、「すげー」とか「ぅわー、きゃー」とかなり感動しまくっている。そんな様子もなかなかいいね。

僕はひとりで来ている「いいオトナ」であるが、じつは心の中では「すげー」とか「ぅわー、きゃー」な状態だ。

・・・

さて、場所を移して、汐留。

「汐留」。実際の今日の僕のアクセス地点名としては「新橋」。

両者の距離は歩いてもスグ。

まちの名前は重要だなあ。「汐留」VS「新橋」。どっちがいいとか悪いとかではなく、重要。

で、汐留での展覧会は、

スウェーデンのモダニズム建築家、

グンナール・アスプルンド。

「癒しのランドスケープ」という展覧会。

・・たしかに癒されました。

「森の墓地」という、世界遺産にも登録されたその広大な作品はとても素晴らしい。

「余白」がいいね。「空間の余白」。

土地の起伏をいかしながら、森の樹木の密度をコントロールして、さりげないデザインの建物やオブジェをそっと配置している。

その様々な事象の関係性の中に、とっても感じのいい「余白」がたくさん残され、または、つくられている。

いいねぇ。

無意識のレベルにおいて、「空間の快適さ」は床の材質感に最も左右されるのである

060123大安。

身がグっとひきしまる寒い日。

午前中は千駄ヶ谷にて集合住宅着工の安全祈願祭。

暖房のない神社の本殿に、手を清め「素足」であがる。

一同、身を固くしながら、神官様の祝詞に頭(こうべ)をたれる。

水楢、欅などがふんだんに使われた社殿の造作(ぞうさく)。

見たことがないほどの「ホンモノ感」。

日常流通していないような大版のムク材料をピタっと納め、反りや割れなどは当然見せない。

凄まじい宮大工の技術である。

(そして、神社の「凄まじい財力」)

式次第後、思わず見とれる工事関係者一同。

社殿の中はふるえるほどの寒さだが、厚い床板に接した足底はそれほど冷たくはない。そして、むしろ心地よい。

足の裏というのはとても敏感な器官である。

熱さや冷たさを感じ取ることはもちろん、床の「厚さ」や「材質」を繊細に感じ取ることができるのである。

じつは、

目を閉じていても、足の裏の感覚によって「床のホンモノ感」は感知されてしまうということなのだ。

これは僕の持論であるが、

無意識のレベルにおいて、「空間の快適さ」は床の材質感に最も左右されるのである。

変化しつづける時代です。大事なのは「想像力」と「編集力」です。

2006S謹賀新年。

すっかり21世紀も通常飛行に入った感じです。

変化しつづける時代です。

大事なのは「想像力」と「編集力」です。

・・・

過去未来にある、いろんな価値観やテクノロジーを巧みに編集しながら「新しいハピネス」を創造すること・・KATOUYUKIHIKO:一級建築士事務所エスは、そんな「あたらしいデザイン」を目指してつっ走ります。

本年も、その先もどうぞよろしくお願いいたします。