東京タワーと、小さな教会。


GW休日の後半1日目。本日、エスは休業。
さて、家族でどこへ行きましょうか。
近場で比較的混雑してなさそうな場所は..ということで東京タワーにのぼることに決定。


 
・・
じつは僕自身、東京タワーにのぼるのは初体験です。東京で暮らし始めて27年。いつか登ってみようと思いつつ、未経験のままでした。
そのうちに、東京スカイツリーという新参がうまれ、東京タワーは何となく地味な存在になってしまったこのように思えます。
まぁ、そこでスカイツリーではなくて東京タワーを選択するところが、マイナー派(?)の我が家ならではです。
・・
現地到着。
では階段で登りましょうと、エレベーター入口へ長蛇の列をなす人々を横目に、階段専用チケット売り場へ。
展望室まで600段の外部階段だそうです。
1歩あたり1秒で、ちょうど10分。我が家はのんびり登って20分ちょっとで登頂完了。ぴょんぴょんと走っていく息子に、ちょっと待って〜と声を掛けながら必死に登る46歳父でした。

東京上空、赤い鉄骨フレームに囲まれた外部階段には、さわやかな5月の風が吹き抜けます。
はじめて間近でみる東京タワーの構造体を興味深く観察。
構造体には軽やかなハイテクさは全然ないし、逆に重厚さも無い。
デザインの大胆さや繊細さにおいては、例えば独自な美学をもつエッフェル塔と比べると、かなり野暮ったい。むしろ、こんな「普通」の構造で333mの塔を作り上げたことに驚きます。
客観的に言って、デザインの質としては残念ながら賞賛すべき部分はありません。しかし。塔としてのシンプルな姿と、当時の目一杯の技術(今で見れば「普通すぎる」)、そして建設への情熱に感動を覚えます。
構造体を形成する鉄骨部材はすべて、いわゆる「大断面」なものはなく、人の手か、小さなクレーンだけで扱えるような小さなサイズの部材です。町工場でも扱えるような部材ばかり。
その「小さな部材」を、ひとつひとつリベットで締めて接合し、立体的に組み上げ、その集合として複合的なトラス構造を構成させています。
東京タワーは、当時の最先端の設計技術が投入されているけれど、同時に、現場では日本の誇る職人さんたちが、まさに手作業で組み上げたもの。リベット締めも、ひとつひとつをすべて手作業で叩いていったらしい。
むしろデザイン性のまったくない、アノニマス(無名性)な「塔」としての東京タワー。
ピュアに「塔」として、それがなんだか、いい。
決してレトロ趣味で言っているのではなくて。
(対して、「東京スカイツリー」は、技術や、機能、目的、それから事業性や、安全担保性などが、なんだかもうテンコモリになっていて、それを「デザイン」しようとしているけれど、じつはあまりカッコよくない。みんなに嫌われちゃうから、あまり大きな声では言えないけれど東京スカイツリーのデザインはあまり良くないな..と僕はじつは思っています。「新しい塔」であるべきなのに、「デザイン」として考えるべき重要な「新しさ」が若干欠けているというか、、)
現在、東京タワーのまわりは、いささかズングリとした超高層ビルにすっかり囲まれてしまっていて、ビジュアル的には「絶対的な高さ」という塔としての第一の機能はほぼ喪失していると言えます。けれど、東京タワーならではの価値観と有り様を存在させていくことが、20世紀という時代が遥か先に過ぎ去ってしまった今だからこそ重要なんじゃないかな、などと考えるのです。
(この考え方は、莫大な金を投じて(あるいは容積率を周囲に売り渡してまで)復元された東京駅が、本来の形に復元されたことへの「価値観」にも通じていく。そして東京駅も、決して「優れたデザイン」だったから復原されたのではない、ということに注目したい。この論はいずれ。)
・・
ところで、
東京タワーに行こうって家族に提案したのは僕ですが、じつは東京タワーの近くにもうひとつ立ち寄りたい場所があったからなのです。
その場所とは、アントニン・レーモンド設計の「聖オルバン教会」。
東京タワーのすぐ足下にある、小さな木造のキリスト教会で、1956年に設立されました。
僕自身は今まで、近くを通ってもあまり意識したこともなく、じっくり見たことがなかった建物です。
今日、はじめて東京タワーの展望室から見下ろしてみました。
それは本当に「ちっぽけな小屋」にしか見えない。
東京という都市のど真ん中で、大きなビルに囲まれてポツンと建っているのが妙に不思議な感じ。(画像はGoogleストリートビューから)

大きな地図で見る

大きな地図で見る
聖オルバン教会の左隣には、もうひとつ三角屋根の教会が見えていますが、それと比べてもずいぶん小さな建物です。
・・
タワーを下りて、聖オルバン教会へ。
まさに、「ちっぽけな小屋のような、素朴な木造の教会」。
道路に面したファサードには建物の幅いっぱいに大きな庇屋根が設えてあります。
建築家レーモンドらしい、包容力のある、そして開かれたたたずまい。
木造部材のスケール感(組合わせ方)は、施設的というより「住宅的」。
実際、アウトライン(輪郭全体)がコンパクトにつくられている建物ですが、そのスケール感(部材寸法、柱どうしの間隔、天井高さ..など)の「小ささ」のお陰で、全体がさらに「小さく」感じるのかもしれません。
人間の空間経験からくる「身体感覚」によるものですね。

祝日ですが、金曜日のため教会の中は真っ暗。
建物横のガラス窓から無理矢理のぞいてみました。
妻と息子は、建物横にあったアウトドアチェアに腰掛けて、のんびり僕を待ってくれています。
うーん。これは面白い。
外観の「普通さ」からは、ちょっと予想できない大胆な構造デザイン。
レーモンドらしい丸太材をふんだんに使った、素朴かつ大胆な架構です。
一見、アクロバチックにみえる構造ですが、よく見ると、何も無理がない。
人間の手だけでも十分持ち上げられそうなサイズの部材を、普通の技術で組み上げている。
「ひとの手で、ひとのためにつくられた教会」という印象です。
僕は、あまり宗教には詳しくないけれど、「神様のため」だけにつくられた..のではなくて、「ひとのため」につくられた感じが、すごく良いですね。
・・
一生懸命にガラスに顔をくっつけて長時間覗き込んでいる僕のうしろに妻が近づき、忠告の声。
「あなた不審者みたいだよ。」
良いものに出会ったとき、いつも僕は「不審者」になってしまっているようですね。
今度、教会がひらいている日曜日に来てみようかな。