初夏のような空。本日も疾走して何かを追う。


近〜中距離の移動手段に自転車を使うようになって、ちょうど1年です。
体力維持に、気分転換に、意外な時間短縮に。
でも、僕にとって一番の効果、そして楽しみは「まちの発見」「環境の発見」です。


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本日も、業務の役所対応などのため、いくつかの目的地を自転車でまわります。
午前中に事務所を飛び出し、お昼をはさんで約4時間。少し遠回りして、たっぷりと風を吸い込んできました。
さて、
上の写真は、JR阿佐ヶ谷駅から延びる中杉通り。
ケヤキの新緑が美しい。
まさに緑のトンネル。
その真ん中を、すーっと抜けていく。
まっすぐに道がのびた先に、光の出口が見える感じが素敵。
この気持ち良さは、自転車でしか体験できないと思うな。
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そして、杉並区役所で折り返し。
ルートは、自転車を降りて阿佐ヶ谷パールセンター。

パールセンターは、ケヤキ通り(中杉通り)と平行する1km弱くらいのアーケード商店街。
ここでは、歩行者が優先。自転車を押して歩くことが徹底されています。
僕も自転車を押しながら、商店の様子や人たちの行動を眺めて歩きます。
このアーケードは、微妙に、本当に小さな角度で道が曲がりくねっています。
ずっと先まで見えそうで、じつは中々見通せない。
このアーケード空間で僕が好きなところは、この微妙に曲がりくねっているところ。
この「微妙なカーブ」が、街の魅力を少しアップさせているんだと思います。
さっきのケヤキ並木とは、その空間の魅力が対照的です。
動線に「曲がり」が入ることによって、なぜか実際よりも距離が心理的に引き延ばされる。
そして、そのぶん、人が体験するシーンの密度が濃くなる。
人が普通に歩行する速度に、空間がとてもよくマッチしているわけです。
仕事なんてサボっちゃって、ぶらぶらと日用品の買い物に興じたい気持ちになってしまうな。
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さて、阿佐ヶ谷駅でJRの高架を抜けて、次の目的地に向かう前に少し寄り道を。

阿佐ヶ谷神明宮という、由緒ある神社です。
僕は、移動の途中で興味深い神社や寺を見つけると、ついついそこで止まってしまう。ちょっと変なクセ。時間に余裕があるときは、じつは神社や寺の境内にいることが多い。
仕事の仲間やお客さんから携帯に連絡が入って、急用の話をしているとき、じつは僕は「都会の神社の森の中」..ってことが時々あるんです。
都市の中に小さな森があって、それに寄り添うように建築物が佇んでいる。
僕は、そんなシーンが大好きだし、「都市で生きる、暮らす」方法へのヒントがそこにあると思っている。
「人が生きる、暮らす空間」を設計する者としては、こういう名もない、けれどナイスな場所から教えられることがいっぱいある。
(写真は、拝殿から本殿に向かった様子。柵に囲われた白砂のなかに建つシンプルな意匠の新しい本殿と、拝殿の天井とのコントラスト。都市の中の自然、神の場所。素敵だ。)
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それから、こんなところをルートに選ぶこともあります。

JR線、鉄道高架下のフリー空間。
吉祥寺〜西荻窪、阿佐ヶ谷〜高円寺の間などで、自由通路のように開放されたスペースです。
中央線は、とにかく「真っすぐ」に走っています。
当然、その下のスペースも「真っすぐ」。
頭上を年月の蓄積されたコンクリート構造物が覆い、無数の列柱がそれを支える。
耐震補強された部分は白く塗装されていて、まるで修道院の列柱廊のように美しい。
その空間は、力強くもなく、弱々しくもない。
無駄なものが、ふっと何処かに逃がされてしまって、言語化できない不思議な力だけがそこに存在する感じ。
建築家などそこには存在せず、目的と技術と歴史だけによって意図されずつくられた絶妙なミニマルデザイン。
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「意図しない美しさ」。
デザインとは、意図(計画)して実現させるものである。
けれど、その「意図」を越えたところに予想外の「美しさ」が現れてしまうことが、時としてある。
でもじつは、本当に感動する場面は、そこにしかない。
じゃあ、そこに辿り着く方法はないのか。
..そんなことを思う、今日このごろです。