ドクター・サンタの住宅研究所


久しぶりに児童向けの本を読みました。
面白かったので、オススメ。


 
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子どもが必死に悩んでいることを、
どうして、おとなは同じように必死になって考えてくれないのだろうか。
決して小さな問題じゃないはずなのに、
おとなはいつも
「気にするな、そんなに小さいこと」という。
でも逆に、
子どもならちっとも気にならない「細かい」ことを
おとなは気になって仕方がない。
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なぜだろう。
きっとそれは、
「スケール感覚の違い」のせいなのだと思うな。
スケール。
つまり、縮尺。
スケール感覚の違い、とは、
状況によって、見えているもののが異なった「大きさ」に感じられる..ということ。
たとえば、
子どもと、おとな。
おとこと、おんな。
かねもちと、びんぼう。
にほんじんと、ガイコクジン。
みんなでいっぺんに同じものを見ても、それぞれ「違う大きさ」に感じるわけだよ。
ところで、
ちなみに、
世界に存在するすべてものには、共通の「原寸大」という概念は存在していないんだ。
目の前に見えているモノは、それぞれの人の脳の視覚野という部分で、いろんな大きさで認識されている。
ほんとだよ、わかるかな。
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今、キミの目の前にある全てのものは、
キミの心と体が設定した定規(モノサシ)によって、大きさが定義されている。
つまり、他人とは、その大きさが違って見えてるわけだ。
で、
子どもとおとなのモノサシの縮尺が違うのは分かると思うけれど、
おとなどうしでも、持っているモノサシの目盛りはみんな少しずつ違うんだ。
子どもどうしでも、これまた少しずつ違う。
これが「スケール感覚の違い」だ。
僕が小さいと思っているものは、
じつは、キミにはとっても大きなものに見えているかもしれない。
もちろん、逆もアリだね。
キミと僕が今同時に見ている「あるひとつのモノ」。
実際には大きさが違って認識されているはずだ。
信じられないだろうけれど、そういうもんなんだ。
ほんとうだよ。
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建築設計ってのは、その「スケール感覚」をあつかう技術だ。
モノの大きさなんかを一生懸命に考えることがもっぱらの課題だな。
これを
「人類におけるスケール感覚へのアジェンダ」と名付けよう。
それぞれ個人が、
完全に同一なモノサシを共有し得ない、という事実に関するアジェンダ(課題)。
建築を設計することとは、つまり、
このアジェンダ(課題)を物理的に解こうとする試みなわけだ。
人類への野望だね。
建築設計ってのは、それほど大それたコトなんだよ。
だから、僕が、ある家族の住宅を設計する時、
しつこいくらいにミーティングをするんだ。
みんなのモノサシのサイズをしっかり把握するためにね。
でも、
僕が「人類におけるスケール感覚へのアジェンダ」を解決できるなんて思っているわけないさ。
いやもちろん、「解決」する必要なんてないんだけどね。
・・
さて、
「ドクター・サンタの住宅研究所」。
子どもたちが抱える諸問題は、魔法の「建築的手段」によってすべて解決できる・・・
そう確信するドクター・サンタの活動は、まさにファンタジー。
魔法なんて、現実じゃ有り得ないよね。
当り前だ。
だってファンタジーなんだもの。
書いてあることは全部、空想の話。
ちょっとばかりの「オトナの知識」をアレンジした作り話さ。
でも、
子どもが読んだら、
この物語がファンタジーだとは思えないかもしれないな。
ドクター・サンタの魔法も、何もかも、
子どもたちにとっては
ふだんの日常にころがっている、ありふれた出来事なのかもしれないよ。