引き続き、20年以上前の調査写真を整理。
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過激な配置計画、すなわち特殊な地形と建物との関係が最もよく分かるのは「16号棟」から「20号棟」とナンバリングされた高層アパートメント群です。
建築されたのは1918年。1世紀近く前です。
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1918年頃といえば、東京などの都市部では、洋風装飾の中層建物が建てられつつあった頃です。
ヨーロッパでは、ドイツのバウハウスで新しい建築の萌芽がようやく生まれようとしている頃。「合理主義」「機能主義」をデザイン化したモダニズムが生まれ始める時代です。
そんな時代、日本の近代化の初頭です。
長崎県沖の人工の島の上において、石炭の生産という近代日本の国家的目的を負わされて、この建築群は建設されました。特異な地形のうえに、純化された目的に向かう建築物が過激かつ合理的にデザインされたのです。
ちなみに、この頃のこの島の人口密度は世界一の過密さだったと言われています。現在の東京の約9倍とか。
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さて、冒頭のの写真は18号棟と19号棟の間の深いクレバスのような吹抜けの底に立ってみたものです。
向かって右が19号棟(住宅居室のバルコニー)。左側が18号棟(共用の廊下)です。
その間の距離は、約5m。いわゆる「光庭」として最下部にも快適な採光ができる限界値です。
クレバスの正面に見えるのは、建物ではなくて既存の「崖」。
建物の高さと階構成が、地形と完全に同化しています。
前回記事の断面図を参照していただくと分かりやすいかと。
(図中、中央の崖(岩山)のすぐ左に9階建ての建築物がくっついています。一番上の断面図が、クレバスを縦に割って18号棟の側をみたものです。)
次の写真は、同じ部分(方向)を少し高いところから見たもの。
高さ30mにわたって、崖に沿って階段がのぼっていきます。
建築と崖、つまり人工物と自然物とがひとつのものになっています。
いちばん上には、別の建物がたっていて、その横から新たな動線がさらに崖をのぼっていきます。
地形をそのまま建物の縦動線(階段)にしていく方法には迫力があります。
凄まじい、の一言。
そして、崖の上から建築物側を振り返って見た様子が次の写真。
建物のフラットな屋上は、崖のてっぺんと同じ高さ。
ここに来て、屋上は「地面」ようになります。
小さな建物がそこに建てられ、一面に草が生えています。
その向こうには海。
クレバスは、建築の「割れ目」であったはずなのに、ここにきてそれが「地形の割れ目」と感じられる風景に変わります。
繰り返しますが、この建築は1918年に建てられたものです。
驚くべき建築!
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この島の多くの建築物の高さは、この岩山(崖)を中心として同じ高さに揃えられ、広い台地状の平面をつくり出します。ダイナミックなクレバスを体験してきたあとに辿り着いた、のどかな風景。電柱も有ります。
既存の岩山の頂に設えられた神社が、この島の中心です。
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過激でダイナミックな空間の中には、島民たちの「普通の生活」がありました。
建物と地形を立体的に巡る迷路のような「路地」には、ごく普通の日常風景が想像できます。
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まったくもう、レム・コールハースに見せてあげたい。
彼の建築よりもだんぜん過激です。
(つづく…)