軍艦島(1)・過激な建築計画

公開が始まった長崎県の通称「軍艦島」。
実は20数年前、僕は友人と2人でこの危険な島に「調査上陸」したのでした。
(090519少し追記)


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当時僕らは大学生。
建築設計を志した頃に見た軍艦島の内部は、まさに衝撃的なものでした。
冒頭の画像は、当時の写真をスキャンしたものです。
過酷な気象環境にさらされつづけた島。
崩れ落ちた瓦礫に満たされた風景は、爆撃によって絶滅させられた都市のようでした。
チャーターした釣り船から島に上がった直後、僕たちが思わず息を飲み言葉を失ったことは言うまでもありません。
「廃墟」としては当時もけっこう有名な島でした。
でも、島の中をさまよい続けるにつれて、
僕らは、たんなる「廃墟趣味」など軽く吹っ飛んでしますほどの強烈な「建築的魅力」を見てしまったのです。
この島についての概説はwikipediaを参照して下さい。
かなり詳しい記述があります。
このwikipediaの記事などを押さえていただいた上で、僕の記事を読んでいただけると幸いです。
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まず、全体において重要な事実は、
島の大部分が埋立て地であって、元々の島部分は中央の高さ30mにも及ぶ岩山だけ。…ということでしょう。
断面図(※)を見てみましょう。

中央部分に、断崖絶壁といってもいい岩山があります。
高さは30m。ビルでいえば10階建てくらいです。
それよりはるか外側に擁壁状の堤防をつくって、岩山のまわりを完全な平地に埋め立てています。
そして、図面でいえば岩山の左側からビル(建物)が絶壁に寄り添うように建てられています。
右は石炭の採掘ヤードとして平地のままです。
岩山でできた小さな島、埋め立てられた平地、その大きな高低差のある地形の上にダイナミックに建てられた建築。
…図面で見ただけでも、凄い。
すさまじく過激な空間構成です。
この過激な建築群は、炭坑労働者家族の集合住宅や生活サービス施設(学校や店鋪、映画館など)という用途をもって、ぎゅうぎゅうに詰まって建てられています。
島自体が「街」の体裁をした巨大な「24時間稼働の石炭採掘マシーン」なのです。
さらにこの島は、海のど真ん中。台風の通り道の吹きさらしです。
こんなところに暮らすということ、これはもうどうしようもなく「カゲキ」です。
かつて日本の近代は、この過激さとともに突っ走っていたのです。
(つづく)

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※図版引用/軍艦島実測調査資料集(東京電機大学出版局/昭和59年)