現況レポート。「NHK富士見ヶ丘クラブハウス(設計/前川國男)」〜その2

すでに永い時間を生きて来たこの建物。やはりそれなりの経年劣化があるのではないでしょうか?。
ちょっと間があいてしまいましたが、今回は建物の劣化状況をレポート。
そして、こういう古い名建築をどうしたら良いか、を考えます。


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先ずは、この建物がおかれている状況を簡単にまとめます。
前回紹介したように、この建物とグラウンドは長年、NHKの厚生施設として使われていました。
基本的に、NHKという法人格の所有物であり、誰もが自由に使える施設ではなかったわけです。
それが諸々の情勢の中で、施設全体の管理が杉並区に委託され、一般市民にグラウンドが解放されるようになりました。所有権はそのままで管理委託という形です。
管理委託契約の期限はあと1年くらいだそうです。
それまでは、建物はこのグラウンドの管理室として使われ、希望すれば見学できます。
ただし、この建物は現在の耐震規準で設計されておらず、大きな地震の横揺れに耐えられる構造を有していないと判断できます。
すなわち、大地震時に倒壊もしくは大きな損傷を生じる可能性があります。
専門家の見学はOKだけど、トイレ以外の一般利用は不可。
つまり、危険建物です。
(この頃建てられた建築は、基本的にすべてそう言えます)
そして、
管理委託契約期限後の扱いは、不透明。
どうするのか全く決まっていません。
何もポジティブな動きがなければ、おそらく近々、建物は取り壊しになるでしょう。
実は、このクラブハウスの建物はかつて広いグラウンドをはさんで同じ形でもう1棟ありました。
施設管理が杉並区に委託される何年か前、その1棟が取り壊されて現在はグラウンド横のまっさらな更地となっています。残されたのは、管理室が入るこの現況建物だけ。
さらに、この近傍を流れる玉川上水沿いに大きな都市計画道路が事業決定されています。
その将来の幹線道路に接道するこのグラウンド全体は、何らかの大きな開発計画に関わる可能性があると僕は予測しています。
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ということを一応覚えておいて頂いて、現地レポに戻ります。
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構造体たる柱と梁、大きなガラスサッシ、床板、屋根、そういうピュアな要素のみでなりたつ建物です。
外部に露出した構造体は目視で確認したところ、一部の乾燥割れおよび漏水と経年劣化による表面の塗装剥げ以外には大きな構造的欠陥は認められません。
むしろ、空気にさらされた骨格が、年月を経てビシッとしまってきたかのようにも見えます。それはまるで生成りの木綿布のように。




写真では、部材が老朽化しているように見えるかもしれませんが、これはあくまでも表面塗装の劣化。全体的には構造材として問題がある劣化ではないと僕は考えます。(一部、柱の乾燥割れが深いものが認められますが)
部材の老朽化に大きな問題はないとしても、前述したように現状建物の耐震性能としては大いに問題アリです。
もしも、この建物を取り壊さないで、さらに将来まで利用するとしたら、耐震補強を含めたリノベーション工事の実施が必要だと僕は考えます。
さらに私感ですが、
この建物は、補強を施されたり、リノベーションの手が加えられることを待っているかのようにも見えます。
前回書いたように、工法は素晴らしくシンプルで合理的。
ジョイント部が「見える状態」であることが最大の特色です。
ダブル使いで柱を挟み込んだ梁を見て下さい。
「ここに補強を入れてくれ」と建物が囁いています。
露出された各種構造部材は、ちゃんとメンテナンスしやすいようになっているのです。
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建物の「機能」としてはどうでしょうか。
前回も紹介した、2階の明快でさわやかなワンルーム空間。
外部の幅の広いベランダとシームレスにつながる仕掛けは、現代の僕たちのライフスタイルにおいても実に様々な使い道へのアイディアを喚起してくれます。
さらに、「スキ」の多い作り方をした骨格は、いろんな建築設備をプラグインする余地をたくさん持っています。
例えば、グラウンドに面したオープンなレストラン、ってどうでしょうか。
建物の規模もまさに丁度いい感じ。
フレキシブルなギャラリースペースとしても使えそう。
そうそう、高齢者のデイサービス拠点ってのも作れるな。
運動施設と組合わせて、ソフトから企画できそうだ。
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古い建物は、ただ有り難がってそのまま残しても何ら役に立たない。
僕は、そう思います。
これほどの建物をつくった当時の建築関係者たちも、改修して使い続けられることには賛意をもってくれる思う。
ただ、改造=リノベーションにはセンスが必要だと思います。
正しく建築の特性を理解し、的確にプログラムを考える必要があります。
今、多くの優れた昭和近代建築が全国に残されています。
それをどうすればいいのか?
建物とは、有り難く鑑賞し、「記念物」として崇めるものではない。やっぱり「使ってナンボ」のものだと思います。
建てられた当時の「思想としての合理性」と、現代の「ライフスタイルとしての合理性」とは、どこかで通底しているはずです。
ならば、合理思想の成果である「近代建物」が、将来、積極的にリノベーションされ活用されていくこと..そういうことは当時から織り込み済みだった。..という仮説があってもよい。
社会が大きく成長、変化を開始するまさにその時代。建築に可変性を持たせるアイディアは既にあったのです。
それこそが、今も脈々と続く「建築の野望」なのだと確信します。
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最近、中央郵便局の解体問題がニューストピックとして話題になりました。
今、古く残された近代建築をどうするか?
そういう「解体か、活用か?」という話題は日本各地に数多くあります。
経済性の話とか、人々のノスタルジーとか、そういったことを全部考慮した上で、今まさに、僕たち建築の専門家は何か新しい方法を発明しなくちゃいけないのだ。
そう強く思う次第です。