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この時期、久我山の玉川上水緑道でおこなわれる「久我山ホタル祭り」。
地元商店会の方たちの尽力で、強力な「イベント=地域資産」に育ってきた。
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近隣は勿論、地域外の人たちも井の頭線に乗って沢山来てくれるイベントだ。
1年の中で、久我山がもっとも賑わう。
地域で育ててきたホタルを、うっそうと樹々がしげる玉川上水に一斉に舞わせるのだが、これがじつにキレイ。なんだか懐かしいような、はじめて見るような、不思議な光景が皆の前にあらわれる。
舞台となっているのは、線状に形成された現在の「玉川上水緑道」。
定期的に手入れが入るものの、どちらかと言えば「ほったらかし」な風情の自然環境ゾーンである。
その「ほったらかし」な感じが、いわゆる都市植栽とは趣を異にして誠に心地よい。
近隣住民の多くが「ふつうに傍にある自然」として親しんでいる場所だ。(たとえば→こんな感じ)
夜は街路灯も少ない。
そういう場所を「ホタル祭り」の舞台とすることで、場所の「良さ」を最大限に引き出している。
非常に面白い取り組みだと思う。
だがしかし、ある都市計画が現在進行形で存在している。
下の図を参照。
この自然環境たる玉川上水緑道を完璧に覆うように、幅50mの都市計画道路が計画されている。図中「放5」と記してあるラインだ。(クリック拡大)
住宅地を静かに流れる玉川上水を、その何倍もの幅を持った自動車道路につけかえようという計画である。
ちなみに、地図上の色分けは用途地域指定という。ここで大きな面積を占めている緑色は、第1種低層住居専用地域といって「もっとも良好な住宅地」にすべきと都市計画法で定められた区画である。
一応、緑地帯を保全再整備して広幅の中央分離帯として残す方法がとられているようだ。(→参考ページ)
しかし、都市公園的なスマートな環境は整備されるものの、現在のような「ふつうに傍にある自然」という風情はすっかり失われてしまう。
現在あるのは、ふつうの住宅地を貫通する線状の「自然緑地帯」。
そういう独自の「良さ」は、中央分離帯方式の道路の中には再現不可能なのである。
当然、様々な意味で計画のメリットは多いだろうし、東京の広域的な交通計画からいえば「正当な」手法なのかもしれない。
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話を「ホタル祭り」に戻してみる。
ホタル祭りの本質は、第一に「人と自然とホタルの共存的関係が醸し出す懐かしさ」。
そして、「それを未来につなげようとする意思」。
さらに、それを可能にするヒューマンスケール(人間の行動尺度)な空間と環境。
大型道路に付随するスマートな都市緑地においては、ノスタルジアは生じないし、空間と環境はヒューマンスケールを逸脱する。
もしかしたら、この道路計画、
自然を大事にしたい、という一次感情を超えて、コトは「ホタル祭り」の本質的存続に関わる事態に発展してきているのではないか。
それはマズい。
東京23区にあって、
このシチュエーションはとても貴重だ。
人の生活エリアにある「生きている自然」が象徴する独特のノスタルジアに心を引かれて、わざわざ電車に乗ってまで人がやってくるのではないだろうか。
地域の「自然」というリソースに賛辞をしめし、それによって街を活性化させる。
そして、毎年のこの同じ時期に独特の季節感と懐かしさを覚える。
地域外からも、この魅力に引かれて多くの人がやってくる。
地域が活性化している姿と、懐かしい風景と「祭り」の雰囲気。
それが、久我山ホタル祭りの他エリアの人たちからも支持されている「魅力の本質」なのではないか。
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でも、ここにある環境は純粋に言えば「自然」ではない。
大昔からの都市インフラであった「玉川上水路」が、周囲の開発と無関係な状態で保存され続けてきたことによって、「背景としての自然」として残った。
いわば、典型的な「都市の自然」と言える。
かつては農耕や宗教の儀式であった「祭り」は、今や、
その「都市の自然」の活用することによって、街をたのしく心地よくするための「イベント」となった。
ここ久我山には、
リスペクトすべき「玉川上水」という歴史リソースがあって、それを保存してきたことにより二次的に「自然的環境リソース」ができあがった。
そして、それを活用することによって街が「いきいき」としている。
ここにしかない「いきいき感」。
それは、決して失ってはならないものだ。
「ここにしかない」という価値感。
そういうものが複数のエリアでそれぞれにあって、それらたくさんの「プチいきいき」による複合化作用が「東京のいきいき感」を編み上げていく。
そういう考え方って素敵じゃない?
都市計画というものを考えたとき、
大きな道路をつくりことで「都市が成熟する」、という俯瞰的アイディアは少なくとも東京のエッジエリアではもう当てはまらないんじゃないかな。
21世紀の今、そういう上から見下ろすような開発型施策よりも、目線レベルからの複合的なソリューション型手法。今あるリソースをどうやって活かし「価値」に置き換えていくか。そういうやり方こそアリなんじゃないかと思う。
賢明なる計画者の目線で考えたとき、たとえばこの久我山の例のなかに道路をつくるメリットを超える「価値」が見いだせないだろうか。
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そういうわけで、
僕は「放5計画道路反対」である。
(次の記事でも、もうちょっと書いてます)
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(080609-100531加筆修正)
なんだかこの季節になると、急に記事アクセスが増えます。ちょっと変な記述があったりしたところを、加筆修正しています。
ただし、都市計画の内容は当時の記述のままですので、正確な情報は確認が必要です。当方ではそのチェックを行なっていませんので、念のため。