無意識のレベルにおいて、「空間の快適さ」は床の材質感に最も左右されるのである

060123大安。

身がグっとひきしまる寒い日。

午前中は千駄ヶ谷にて集合住宅着工の安全祈願祭。

暖房のない神社の本殿に、手を清め「素足」であがる。

一同、身を固くしながら、神官様の祝詞に頭(こうべ)をたれる。

水楢、欅などがふんだんに使われた社殿の造作(ぞうさく)。

見たことがないほどの「ホンモノ感」。

日常流通していないような大版のムク材料をピタっと納め、反りや割れなどは当然見せない。

凄まじい宮大工の技術である。

(そして、神社の「凄まじい財力」)

式次第後、思わず見とれる工事関係者一同。

社殿の中はふるえるほどの寒さだが、厚い床板に接した足底はそれほど冷たくはない。そして、むしろ心地よい。

足の裏というのはとても敏感な器官である。

熱さや冷たさを感じ取ることはもちろん、床の「厚さ」や「材質」を繊細に感じ取ることができるのである。

じつは、

目を閉じていても、足の裏の感覚によって「床のホンモノ感」は感知されてしまうということなのだ。

これは僕の持論であるが、

無意識のレベルにおいて、「空間の快適さ」は床の材質感に最も左右されるのである。

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